大人になって弟と自分の交友関係をまじめに話すのは初めてだった。
ただ、はっきりとは言わずとも文脈から聞いててわかるのは、弟が親友から何かしらの出来事があって「逃げた」という事だ。それを聞いた僕は、他人ごとではなくむしろ自分のせいなんじゃないかと思うのです。
大きく放物線を描いたサッカーボールが「ガシャーーン!!」と音を立てて家のガラス窓を突き破った。3歳年下の小学5年生の弟とサッカーの練習していた矢先のことだ。とても大変な事をしてしまったという初めての事態にただただ呆然とする一方で、自分が蹴ったボールじゃない、とその事態から逃げようとする自分がいた。
ぽつんとひとり取り残された不安と、大変な事をしてしまったという恐怖で泣きじゃくる弟に「怪我は無かったの?大丈夫?」と優しく声をかける母。そのやり取りを窓付きの風呂場からそっと聞き耳を立てていた自分。
そう、僕は逃げたのだ。
お兄ちゃん、どうしよう…と涙を溜め不安げに訴える表情の弟に「俺がやったんじゃないからな!お前が謝れよ!」そう吐き捨てて。
3人目の父親はとにかく暴力を振るう人で、僕はそれが怖かった。とにかく怖かった。だから今回もきっとガラス窓を割った事に逆上してまた暴力を振るうはず、そのとにかく怖い思いをまだ小さい弟になすりつけ、自分は弟をひとり残して家の中に逃げ込んだ。
大人なら、わざとではないんだし、ただ謝れば済むことだと簡単にわりきれるけれど、小さい時だとそれが些細な事でも、大変な事をしてしまったと恐怖におののいてしまうもの。その当時の弟はその時どんな心境だったのだろう。助けもせず逃げ出した僕をどう思ったのだろう。
母親と自分達兄弟だけの生活になって20年以上が経ちますが、その出来事が話題になった事はただの一度もありません。ですが、僕には忘れられないのです。楽しい事も嬉しい事も今まで山ほどありましたが、未だにずっと自分の心に根深く残っているのは、あの時の弟の悲しい眼差しと、守るべき者を守らず怖い事から逃げ出したという自分の弱い心を忘れられないのです。
もしあの時、「大丈夫だ、兄ちゃんが何とかしてやるから!」と勇気を出して弟を守ってやれたとしたら、大人になった弟の、親友との関係も良いものになっていたんじゃないだろうか?そう思ってしまうのです。
その出来事がきっかけで自分の人生で大きく変わったことがあります。
物事から背を向け逃げ出したくなる時、必ずそばにはあの時の弟の涙が僕の足を止めて、僕に勇気をくれる。「逃げた」代償として残った胸を痛める消えない記憶は、時に立ち向かう勇気としてそっと僕の背中を押し続けてくれるのです。。。